EPISODE

Episode 03 緑の追想 (4)

丸山 豊 [Publicity; Magazine"RENBUN" 1976-1980]


久留米の美術レベルの高さについては定評がある。それが青木繁さん・坂本繁二郎さん・古賀春江さん・豊田勝秋さんらの大きな業績によることはもちろんであるが、伝統をもつ洋画グループ来目会の存在は特筆されてよい。

ビルマで戦死した画家石原寿市君を同級生にもって、日吉小学校から明善校に進学したばかりの私の友人には、のちに美術批評家として名をなした河北倫明君あり岸田勉君ありまた後日画商のみちをえらんだ久我五千男さんが近くに住んでいて、私自身も、河北君や、航空兵として戦死した藤島清君のすすめで中学の絵画部にわずかの期間ながら入部して、山村秀一先生の指導をうけるなど、とかく絵画と縁があったが、来目会についての認識はまだあさかったようである。

ただ、うすれゆく記憶のおく、来目会展を見にいった私があるけれど、それが小学高学年であったか、中学生のときであったか、どうもはっきりしない。たしか新町の一丁目、不動銀行のななめ前に、塩・タバコなどの専売業務をとりあつかうところがあって、ここのせまい事務室で展示されていたようである。会場に足をふみ入れたばかりの壁面に、少年川原貫一君の絵がかかげてあった。「神童貫ちゃんの作品げな」と、ささやきあったものである。その後商工会議所での来目会展も鑑賞したような気がするが、これはますます記憶に霞がかかっている。

中学も三年になったころ、辻重行君という同級の仲よしがいた。かれは苧扱川町の有名な大野うなぎ屋の令息だった。かれの家の床の間には坂本繁二郎さんの画幅が下がっておりその高名は承知していたので、おそるおそる拝見しては神品にふれたため息をついたのを覚えている。画題は静物、たぶんかぼちゃ。枯淡に墨でえがいて、うっすら色どりをしてあったようだ。季節がかわっても、この画が他の絵ととりかえられることはなかった。やがて、辻君の父君が大野米次郎さんといって坂本さんや丸野豊さん、松田諦晶さんたちとともに、来目会の主要メンバーであったことを知ったものである。

以後、5-6年のあいだに、私は文学を通じて、数多くの美術家たちとの交誼をえた。坂宗一さん、伊東静尾さん、内野秀美さん、片山摂三さんなど、その名をあげれば限りがない。

[on Magazine "RENBUN" vol.8, August 1977]




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