EPISODE

Episode 03 緑の追想 (1)

丸山 豊 [Publicity; Magazine"RENBUN" 1976-1980]


丸山 豊 「連文会報」の編集者南熊太氏から、久留米連文発足のころの思い出をまとめてみたらというおすすめである。昭和24年の発会から今日にいたるまで早くも27年が経過したわけで、じつはその間にいくたびも、追想記をしたためるように誘いがあった。そのたび私は、一種の気うとさをおぼえて、筆不精をきめこんだ。ひとつには、当時の記録がほとんど手もとから消え失せているからでもある。たぶん中途で一まとめにして久留米の教育委員会に手わたししたと思っているが、委員会のところで紛失したものか、私の思いちがいであるか詳らかでない。

しかし、それよりも重要な筆不精の原因がある。私たちの追憶というものは、歳月とともにあやふやになり、しかも、じぶんと直接結びついた部分だけが風化から残る、つまり、じぶん本位に歪んでしまうことを知っているので、私のおぼろげな追憶をまとめるのが、かえって将来の誤伝のもとになるかもしれないとおそれたからである。なおまた、敗戦後南方から帰国した私にとって、昭和21年から27年までは、連文活動を中心とする文化活動の渦のなかに、じぶんの青春のほとんどすべてを投入してしまった。情熱的季節であった。それだけに、昭和27年連文の副会長を辞したときのほっとした気持が、今日になってなお根深く残っているのだ。はげしい恋のあとの虚脱感のようなものである。

連文創立10周年の祝賀行事のおりも、回想記をたのまれたが、ていねいにお断りしたはずである。そのとき岸田勉氏が、「連文の歩み」という文章を草してくれた。これは連文誕生のいきさつを要領よくものがたる、みごとな文章で、もうこれに追加する重要記事はないわけである。だから私としては、蛇足ともいえる補遺のかたちで、心細い記憶をたどってみることにしよう。連文の誕生には、その前奏曲ともいうべき「久留米文化の会」のこと、さらにさかのぼって、戦前の久留米の文化運動のことから、記述してみたい。

[on Magazine "RENBUN" vol.5, July 1976]




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