EPISODE

Episode 04
 連文の過去・現在、そして未来

  50周年記念誌上座談会

■ date : August 11 1999 at : SOSEI, kurume


 
「連合」の意味
柿原 では、会長お願いします。
浦園 浦園繁 それぞれ副会長から出ましたけど、繰り返しますと、「連文会報」の何号かに私がそういう内容のことを書いています。連合文化会の会員が、自分の分野だけは知っているけど、他の分野がどういうことをしているのか恐らく知らんだろう。だからそうい風なことをお互いに知り合って、会というものを育て上げていくという気持を持つことが一番大切だと思います。そして、それは何かというと、いわゆる参加をする、口出しをする、あるいはその席に座るとか、その人達の話を聞くということによって、いろいろなことを知るわけです。そうすると、私も何かしてみようかという気持になってくる。これが逆戻りして本当にそれを知っていくことになっていくわけです。

そういう風なことを考えてみますと、連合文化会というのは一体何なのか。一つの部が、連合文化会というものを使っていっしょになる必要はないわけです。文芸なら文芸、文芸の中にいくつかの部があるわけで、美術も美術の中にいくつかの部があるし、音楽も芸能も茶華道にしたってそれだけで独立してやっていって十分にできるんです。技量を持った方々がそれぞれの部に所属して、それが集まって連合文化会という形を作ったならば、連文でなければできないという仕事を、それを連文で考えるということが、今後の連文の仕事だということを書いているわけなんです。今いみじくもそれぞれの副会長の言葉の中にあったように、これは非常にいい内容だったと思います。

例えば文芸にしましても、初めは外部に表紙を頼んでいたんです。坂本繁二郎あたりに。ところが、連文なら美術部があるから、ということで内山先生が始めたんです。連文の会員に表紙を描いてもらうということになって、順番で、カットまで描く、それが現在まで続いている。


 
異質なものとの交流
浦園 それから八重津局長の時に、当時の西日本新聞の井上総局長と話をしながら、僕が連文のあり方を話したら、「それはやっぱり複合行事をするのが大事でしょうね」と言う。一番手っとり早いのはどんなものだろうかと尋ねたら、「こんなのがありますよ」と出してきたのが、写真家の浅井慎平と俵万智の歌集・写真集。それならひとつ、連文の写真と俳句でしたらどうかということを考えて、八重津局長に相談したら「ああ、いい思いつき」という。それなら写真と俳句部に呼び掛けて、会場も設定してもらわないといけないということで、八重津局長が、あっち駆けこっち駆けして会場を設定した。

というのも一つの流れで、それから十年経つが、今、船嶋先生からも話があったように、そういう全く異質のものが、異質なものでの表現であるけれども、心は同一なんです。写真と俳句、一番最初に写俳展をした時、古賀先生から、その中に和歌も入れたらどうかと話があった。けれども俳句はさらっと読めるわけです。三十一あると、読む時間がかかるんじゃないかということで、和歌をはずして俳句だけで今までずーっと続けてきたわけです。

そういう異質なものが、いっしょになってやるということが、連文の運動のあり方じゃないかと。だから、そういうことをやるということを、次の世代に、子供に教える。あるいは知らせるために、あるいはそれを実践を通じて貢献してもらうために、花柳先生からも話がありましたように、行政関係との問題もあるし、学校関係とも問題があるし、だから私が考えたのは、行政とタイアップした連文の運営をやらなけりゃいけない。今の連文の出発点というとおかしいけど、切り替わった原点があるんです。

これは鹿毛局長が課長のとき、石橋部長といろいろ話して、今からは行政とタイアップしての地方文化だ。絵描きだ、文学者だ、詩歌だとか専門家であったって、地域の文化を向上させていくには、行政とタイアップしていかんといけない。行政に協力してもらってということで、出発点となって現在の連文ができてるわけです。


 
文化推進協議会
浦園 それも、一番当初の理解を示したのは、近見市長です。市長が、内野前会長と一年違いで、密接な関係があったのと同時に、連文を賛助してもらおうと賛助会までも作って連文活動を始めているんだから、それに協力しなけりゃいかんということで、市が助成金を出す。だから連文は、それに甘えるわけじゃないけれども、連文の賛助会員というのはやめなさいと、連文は連文としてやっていくから名前を変えたらどうかということで、今の「文化推進協議会」という形に変わってきた。

文推協という形になれば、その中に連文の会員も参加できる。連文の会員でありながら、連文の賛助会員というのはおかしいということで、今の文推協になって連文の会員もその文推協に入ってもらっているわけです。現にこの中に何人か会員がいらっしゃるけれども、そういう過程でこの連文ができているから、私は絵描きだとか、私は、文学者だ、踊りだ花だというような孤立魂でなく、今、花柳先生から話があったように、芸能部とかがいっしょにできるわけで、そしてその背景は美術部が描くというような、何か一つの連文の「連合体」という姿が発揮できるような将来があったらいいなあという願いを持っております。これが将来の連文の姿として今、我々が言っておることの若干の意味があったかなあと思っておる現在です。

どうぞよろしくお願いします。
柿原 だいたいビシッと言っていただきましたけれども、元の事務局長どなたか代表して、連文に対して外部から見られて、昔かかわりあった方の、どなたか。
 
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  *Illustration ; AOKI SHIGERU  Author : Sakamoto Toyonobu