EPISODE

Episode 03 緑の追想 (2)

丸山 豊 [Publicity; Magazine"RENBUN" 1976-1980]


久留米における全市的な文化運動の思い出について述べるのだから、『文化協会』とか『文化会』とか、りっぱな名称がついたところからペンをおこしてよいはずだが、文化運動というものはそういう時点でぴょこんと出発したわけではなく、さかのぼれば目がくらむほどはるかな先人の業績を川床にした幾条もの文化伝統のながれが集って、はじめて組織立った文化運動の大河が形成されてきたことは、あらためて申すまでもない。その証を郷土史の上から拾いあげるのはかならずしも難しくないが、私はすこし方法を変えて、私がまだ久留米の芸術につよい関わりをもたなかったころの、すなわち少年時の文化的環境をうすらいでゆく記憶のなかからたぐりよせることからはじめてみたい。

戦前の久留米は、あるいは軍都とよばれ、あるいは商業の町とみなされてきたものの、文化・芸術の面についても、かなり豊沃な土地柄だったと考えられる。そのころ、久留米の中心繁華街は三本松町であり、ここから米屋町へ曲ったばかりのところに、西日本一の大書店菊竹金文堂があり、その向い側に蟠龍堂書店があった。金文堂は新を追う性格がつよく、蟠龍堂は着実に旧を守るという違いがあったが、この二つの大書店はあきらかに久留米の文化センターの役目をはたしていた。

ことに金文堂は私たちにとってありがたい存在であった。たまたま金文堂が火災をおこしたときは、書籍を通じてなにくれと恩恵をうけていた多数の学生たちがいち早く消火にかけつけて、町の美しいニュースとなったものである。災厄をうけた金文堂は、当時めずらしかった鉄筋建三階の新社屋にあらたまり、屋上には小ぎれいな喫茶店まで設備していた。番頭さんの恰好だけは相変らず前垂れ姿。客に対しておどろくほど親切だった。私たちはまるで図書館にでも通うつもりで、その商売気をはなれたあたたかい空気にひたった。立読みの一冊がおわると、顔なじみの番頭さんが、高い棚からつぎの一冊を取りだしてくれた。

数年後に、野田宇太郎さんが処女詩集『北の部屋』を刊行したときも、私が詩集『よびな』を自費出版したときも、それらパンフレットよりもうすい小詩集のために、金文堂は店頭正面に、自発的に畳一枚ほどの大看板を無料でかかげてくれた。さて、蟠龍堂は戦火によって消え去ったままだが、金文堂の方は店主の名こそ変れ、いまも繁昌をきわめている。創業が文久元年と聞くから、今年で116年の歴史をかさねたことになる。おそらく日本でもっとも由緒の古い書店であろう。戦後早々の金文堂の、文化運動への熱意ある協力については後ほどまた述べることにする。

[on Magazine "RENBUN" vol.6, November 1976]




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