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Toward an Era of Tradition and Diversity
伝統と多様性の時代に

あけましておめでとうございます。
新しい時代に連文はどう寄り添っていけるのか、誌上対談形式で名も無き若い会員に、特にテーマを決めずに連文についての新春放談?をお願いしました。
新しい時代に連文はどう寄り添っていけるのか
連文に入会する時ってどんな感じでした?
わたしの場合は展覧会などで複数回入賞し、会員に推挙して頂くという過程を経て入会しました。一定の評価を得られるという点で会員になれたときは嬉しさと誇らしさもありましたたが、団体という印象を与えかねない危惧も入会条件などが曖昧になっていくにつれ、誇らしさが薄れてしまった部分も感じます。
部によって、入会の条件というか、審査なんかは結構曖昧ですよね。
時代に応じて柔軟に変化していくことは大事であるし、人数を維持拡大することはとても大切だと思いますが、間口の広げ方は慎重になる必要があるのではないかなとも思います。入会に必要な条件や基準がころころ変わるのはいかがなものか...どういう団体なのか根幹の部分がブレているような気もします。土台が安定しておらず不安定な団体という印象を与えかねない危惧も感じます。
最初に連文という団体を意識したのはコラボレーションイベント。単純に楽しそうだなという印象でしたが、実際に入会すると垣根を超えた横の繋がりはあまりなく、部の活動で完結していましたね。
もっとも活動単位の基本は部であると思うし、まずは同じ分野の人たちと親交を深めることが大切だなとも考えて過ごしてきました。同じ分野の人とつながる機会がなかった私にとっては、連文の存在はありがたいものでした。
逆に言えば、同じ分野で繋がる機会が他にあるような方にとっては、部を越えた連携などがないと連文の魅力は下がってしまうという印象。
人によって、または活動する分野によって連文に期待することが違うのではないかと思います。同じ分野で繋がれたらそれだけで満足という人もいれば、垣根を越えた連携をしたいと思う人もいる。後者は現在の活動内容では不満があると思いますが、前者は今現在の活動量でも満足していることも多いのかもしれません。
ですが、せっかく多種多様な分野の人間が集まっているのだから、わたし的にはうまく使って発展させたいなと思いますが、何かと難しいですね。
反省点はあるものの、個人的には色んな分野の人と一緒に実施した青年部有志でのドクターブンブンがとても楽しかった。この楽しさをうまく伝えられるような活動をしていけたらいいなと思います。
ここ数年の連文の活動ってどんなイメージですか?
連文に熱い思いを持った人と、籍を置いているだけの人の温度差がかなりあるような気がしますね。たくさんの会員がいるのに、委員会などは一部の人が兼任してやりくりしているような。それに何年か前からはいろんな会議の内容がホームページにもアップされるようになり、なんとなく運営の流れはつかめるようになりましたが、それ以前は重要なことでも、きちんと説明がなされず、いつの間にか決まっていたことも多かったですね。
これまでちゃんと声を上げてこなかった代償というか、一部の人たちで決めてそれを良しとして来た(任せっぱなしにしていた)環境がそういう体質を生んだ。誰が悪いということではなく、みんなで考えるときだと思います。
コロナ禍で中止となった直近のものだけでなく過去の分も含めて、連文周年事業は誰がどういう場で協議し、何がどう決まっているのかなど理解出来ないままとりあえず進んでいってました。自分の部は何をするのかについても、部の会員に情報をおろす部長さん自身も理解されていないという状態で結構混乱が生じていた気がします。
コロナ禍で部の定例イベントも中止が続いたことで、つながりがさらに希薄になってしまったのかもしれません。危機感は覚えつつも何も出来ないままというか...。年齢や体調面が理由の方も多いと思われますが、結果として退部する人が多数出てしまった部もありますね。
今年度になってようやく活動を再開出来ましたたが、集客や会員減など課題は多い。問題意識はみんな持っていると思います。人任せじゃなく、一人一人が考えていくことが大切だと思います。
同じジャンルのような部門の両方に所属する意味ってよくわかりません。
総合文化部門の今回の部門イベントは興味深いものでしたが、以前は各部門を横断するような企画もあったのに、いまは逆に分断が進んでいるいるように思えますね。複数の部門とのコラボレーションは、総合文化部門がやればいい、というような...
連文の中にもう一つ連文があるような感じですね。
他の部門との接点がなければ、連文として集まる意味もないのではないでしょうか。
連文の会員であることを誇りに思いますか?
連文以外の人に入ってるメリットを聞かれても堂々と答えられません。連文だから出来ること、連文だから出来たことをもっと増やしていきたいです。
年一万円の会費は、はたして安いのか、高いのか。他人に入会を勧めたいかというと何とも答えられないです。
それと・・予算が不平等(苦笑)
ほかに最近の活動について
ホームページやSNSもあり便利で情報が早くなっていますが、十分に活かしきれていない気がします。会議やイベントの出欠を取るときはハガキとかの郵送ではなくラインなどにしてほしいです。ライングループを活用すれば返事も楽だし、出席者の把握もしやすいので無駄な手間や出費も省けると思います。新しいものは無理だと最初から決めつけず、せめてチャレンジはしてほしいです。
年輩の方でも結構家族間とかでラインは使ってある印象がありますけどねえ。
ご高齢の方でも日常的に必要があれば(仕事のほか、子や孫とのやりとりなど)年齢関係なく使いこなせると思うが、そういう環境になければスマホは持っていても電話専用。そこにいくら便利だと伝えても心理的な負担を感じる方が大きいのは仕方のないことなのでは。(使い方を説明することは出来ても、そもそものスマホの契約形態を変えてもらう話になると、そこは厳しいなと感じる。ネットリテラシー*1 を持ってもらうよう伝えなければ、そこは無責任になってしまう気もする)
まずパソコンやタブレットを使って便利だなと実感してもらうことが重要だと思いますが、いい案は浮かびません...
迷ったときには原点を見つめる
さてさて、いろんな話が飛び交ってますが、コロナ禍での停滞はあったにせよ、今後の活動を活発にしていくという意味では、いろんなサゼッション(提案)を含んでいるようにも思います。
新しい連文がどういう方向性を持つべきなのか、いろんなご意見があると思いますが、迷ったときには原点を見つめてみることも重要です。
連文は戦前、詩人の丸山豊氏や岸田勉氏、画家の内野秀美氏などが立ち上げられた「リベルテの会」に端を発し、戦後まだ荒廃していた時代にいち早く活動を始めた「久留米文化の会」を経て現在の久留米連合文化会へと発展してきました。
...主宰者無し細規無しと言う珍らしい構成のもとに、各自の良心による輪と進歩的主知的な精神による不文律とにより結ばれて...
1936年3月 *2
人民良心と人格自由の名において久留米リベルテの会
なんと代表者無し、規約無しでスタートした先輩諸氏。現在、連文は500人を越す大所帯で、もちろん団体としての形を整えることは最低条件ではあるのですが、多様性が再認識されている昨今、伝統の文化と新しい多様性の社会に於いて、今一度、何故に文化芸術の世界に身を置いているのか、まだ見ぬ新しい分野に学ぶことも含め、見つめ直すことも大切だと思います。

*1 インターネットに対する理解
*2 引用の「緑の追想」「連文への道」他の原稿はホームページ上でいつでも読むことが出来ます。
久留米連合文化会 Episode
広報委員会